北 海 道

2019 令和元年 7月12日(金)~15日(月)

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4日目

北海道最終日、函館朝市からスタートです

約250店が連なる海産物や農園からの直売品などが並び、ずっと客の呼び込み合戦

この中でも雑誌に載るほどお薦めの海鮮丼店で朝ごはん
朝から食べすぎです。ここだけの話。この旅行だけで2キロ増えました
しょうがないね(*≧∀≦)







威勢のいい呼び込みが至る所から聞こえてきます!


その中から選んだお店は。。。

 

 
朝からこのボリューム!!  褒めてね~~~~(笑)



あ!!見てみて♪
 

カモメがお店をチョイスしてる(笑)


決まったみたいよ~~(^_-)-☆




五稜郭タワー


平成18年(2006年)4月1日にオープンした新タワー(2代目)は

高さ107m(避雷針高)。展望台から見はるかす函館山や津軽海峡、横津連峰の山並み、

そして特別史跡五稜郭の大地に輝く星形の眺望が見られます





武田斐三郎(たけだあやさぶろう)1827~1880
緒方洪庵塾に入門し、洋楽語術を学ぶ。ペリー艦隊が浦賀に来航した際には佐久間象山の門下にいた。
洋式軍学者として製鉄、造船、大砲、築城などに明るく、箱館開港後は箱館諸術調所の教授として活躍。
その後、幕命により弁天台場、五稜郭の設計監督にあたった。


榎本武揚(えのもとたけあき)1836~1908
オランダ留学を経て幕府の海軍副総裁になる。幕府崩壊後、新政府への軍艦引き渡しを拒否して脱走。
箱館に旧幕臣による仮政権を築くが箱館戦争で敗れて降伏。後に明治政府要職に就く。


土方歳三(ひじかたとしぞう)1835~1869
彼は裕福な農民の出身です。剣術を学び、徳川幕府の紀冊組織の一つである「新選組」の副隊長となり、
京都に於いて、反徳川勢力を取締りました。
五稜郭の徳川幕府軍では、陸軍の副司令官として戦いを指揮しました。





五稜郭復元模型(1/250)
竣工当時の五稜郭の姿を正確に再現していて、現在の姿と昔の姿を比較して見ることが出j来ます



タワーてっぺんから眼下の五稜郭は目を見張るほどの見事さ



展望台には、五稜郭の歴史が学べる展示スペース「五稜郭歴史回廊」や

強化ガラスの床で下が見える「シースルーフロア」、「売店」、「カフェスタンド」などがあります。





その後 五稜郭へ。



そして戦いの舞台は 時代の変遷とともに 市民の憩いの場へ

箱館戦争後は、明治政府兵部省が管理することになり、その後は役所として利用されることはありませんでした。
1871年、開拓使本庁の札幌移転に伴い、その庁舎建設のため、木材不足から奉行所庁舎や付属建物の大半を解体。
1873〜1897年までは陸軍省の練兵場として利用されます。

五稜郭公園として一般開放されるようになったのは、1914年以降になります。
1922年に国指定史跡、1929年に郭外の追加指定、1952年には北海道唯一の国指定特別史跡へ。
2010年には箱館奉行所が復元公開されました。





五稜郭の中も拝観










徳川幕府の命を受けた蘭学者・武田斐三郎が設計し、1864年に完成された、国内初の西洋式城郭です。

五稜郭という名前のように、稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり、星形の五角形となっています。

星形の城郭は、防御側の死角が少ないなどの利点があり、
ヨーロッパ各地に造られた城塞都市をヒントにしたもので、この形を「西洋式土塁」といいます。

このような形の五稜郭は、日本では函館市の五稜郭と長野県佐久(さく)市の龍岡城(たつおかじょう)の2ヵ所だけとなっています。


宮大工による 釘を一本も使わない建築です


函館金森レンガ倉庫

カモメの鳴き声と風にただよう柔らかな潮の香り。
函館山の緑と海の青。
そして、石畳とレンガ色のストリート。

エキゾチックな雰囲気の漂うベイエリアのランドマークとして函館港を見つめ続ける金森赤レンガ倉庫の歴史は、
明治2年(1869年)にスタートします。



初代・渡邉熊四郎は明治2年(1869年)に洋品店を開業

その後、さまざまな事業を興し明治20年(1887年)に倉庫業を開始し、
大火により一度は失われかけそして復活したその風景は、ちょうど一世紀の時を経て
昭和63年(1988年)に函館ヒストリープラザとして現在のようなショッピングモールを兼ねた総合複合施設に生まれ変わりました





明治15年頃に築造されたライトアップも美しい運河を囲むように

チャペルやクルージング、カフェなどが配置されています

運河からの心地よい風を感じながら まるで異国にいるかのような時間を散歩味わえます





そして神聖な気持ちに導かれる
トラピスト修道院

正式名称は、厳律シート会燈台の聖母トラピスト修道院

1896年(明治29)年、フランス、オランダ、イタリア、カナダから総勢9人の修道士たちがこの地を訪れ、

日本最初の男子トラピスト修道院を創設

翌年、フランスからジェラール・プーリエ(のちに帰化し、岡田普理衛と名乗る)が初代修道院長として迎えられました







ここからはおしゃべり禁止です



心穏やかになりますね


ここから奥へは入れません




修道士になるには この門を通ります。。。(;'∀')





修道院に続く道や周辺の散策路は四季それぞれに美しい風景を見せて、歩く人を楽しませてくれます
春には鮮やかなピンク色の桜が満開に

秋には奥にそびえる丸山の美しい紅葉が見られるほか、
敷地裏側の壁面や裏手の山麓で聖母マリア像を祀るルルドに伸びるツタが赤く染まります



中には入れないので展示してある写真から想像してください。。。






函館空港でレンタカーを返した後 空港内で北海道最後の夕食です!











い~~~ぱい堪能して~~~~!


もっとも遊びたいけど~~~~(笑)


函館空港 18:35発 ANA500


中部国際空港 到着 20:10

見て、聞いて、知って、感動して、食べて、飲んで、しゃべりまくった4日間

リフレッシュ以上のリフレッシュでした

はい、このメンバーで来年の計画も決まりました(((*≧艸≦)ププッ

明日から 主婦頑張ります

最後までご閲覧 ありがとうございました(*^▽^*)


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