山中温泉 一乗谷朝倉氏遺跡・東尋坊の旅

2012年3月28日(水)〜29日(木)

恒例行事となった、父母懇OB・0G一泊旅行
今年は石川県と福井県をまたぎ、文化と歴史を偲ぶ?旅行となりました

お勉強だけの旅行ではつまらないのは当たり前(笑)

まず、さっそくのハプニング
前々日になって一人キャンセルが出た!
理由を聞けば仕方ない事なので、即刻旅館に連絡したら30%は頂きますと(^_^.)

そこで問題になったのは車
最初レンタカーを借りる予定でしたが、キャンセルした人が8人乗りを出すということで当てにしていた
しかしダメになったのでまたレンタカーに・・・

その後、仲間の中の娘さんが7人乗りの車を貸してもいいという話になりそれで決定
6人でお笑い道中が始まりました

さっそく9時までに高速道路に入り、通勤割引を適用

 
11時半には≪南条≫SAにて、お勧めの「ソースかつ丼」を食べました

養老・米原から北陸自動車道で福井県に入ります



★一乗谷朝倉氏遺跡
 
受け付けを任せて、私は周りの写真を撮っていたら「ちょっと来て〜〜」と呼ばれました。

何やら受付で、がやがやと揉めているような??

受付 「誰か話の分かる人、いませんか〜?」

私 「どうしたの?」

友 「ねぇ!訳が分からないのよ〜〜。話聞いてくれる?」

受付 「あなた、ちゃんと話聞いてもらえますか?」

私 「え?何があったの?」

友 「入場料、210円と240円。その30円の差を聞いてるんだけど、わかんないのよ〜」

受付 「ちゃんと話聞いてくださいね! 資料館行かれますか?」

        凄い上から目線で威圧感を感じました

私 「は?資料館? 私たちはこの辺りの遺跡の散策がしたいんですが」


受付 「では資料館へは入りませんね?」

私 「入ってもいいけど、資料館はどこにあるの?」


受付 「2キロ先です」

私 「それは、この遺跡を見ながらの方向にあるの?歩いて行けるの?」


受付 「車で移動です。送迎バスはありませんよ。ここに車があるならいったん戻って行かないと」

私 「じゃー、この辺りだけでいいけど」

受付 「え?行かないんですか? じゃー210円ですけど。はぁ〜・・・(ため息)」
 


お金払って移動するとき「早く開けてください!」っていうのよ〜〜〜!

説明の突端が「資料館行きますか?」では訳が分からない
「この辺りの遺跡を散策して、そのあと自家用車で2キロ先の資料館まで行かれますか?」
と聞くのが普通じゃないかな?

そのあと仲間が
「初めてのお客さんが来たら、わからない人も多いでしょ?」って言ったら

「そんな人はいません!」ですって!!(*_*)



そんな受付の問題点に、ああだこうだと怒り笑いしながら入場して・・・

一人が言った

「で、ここはなんなの? なにもなさそうだけど、何見るの?」

これだけ大騒動して入場したのに、これにはお腹を抱えて笑い転げた

「城跡や古い街並みの遺跡を見るんだよ〜〜」

「見てどうするの?」 って〜〜〜〜〜(爆)

そのあと、何やらぶつぶつ言いながらついてきた(笑)

 
一乗谷朝倉氏遺跡は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代にこの地域を治めた朝倉氏の城下町の跡を遺跡として整備したものです。

足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あいの東西約500m、南北約3kmの地域を指します。

 昭和42年ごろから発掘調査が進められて遺跡として整備され始め、昭和46年には一乗谷城を含んだ278haが国の特別史跡に指定されました。

また、平成3年には諏訪館跡庭園など朝倉氏遺跡内の4つの庭園も国の特別名勝に指定されています。


遺跡は一乗谷の狭い谷間に点在しており、朝倉氏の館をはじめ、家臣たちの武家屋敷、
寺院、職人や商人の町屋が計画的に作られた道路の両側に並んでいたことが発掘調査で明らかとなっています。

一乗谷駅近くには県立の「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」がありますが、そこから点々と続く遺跡をつなぐように遊歩道が整備されています。

 遠く戦国時代の人々の暮らしぶりに思いを馳せてながら、ゆったりと緑に囲まれた豊かな自然を堪能できる場所ですので、
できれば半日ぐらいかけてのんびり歩いてみたいところです。

 
 
突然現れた時代のいでたち  さっそく写真をお願いしました

 
なんと、着付け体験の係の人だった〜〜(笑)


夢舞台の門をくぐると。。。


なんということでしょう。。。
桜が満開になった頃の夢舞台では、華やかな舞を見られるのでしょうか〜。。。

 

 


★朝倉氏の歴史
 朝倉氏の祖先は、但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市)の豪族で、初めは日下部を姓としていました。
甲斐氏、織田氏とともに守護代として越前の守護・斯波氏に仕える家柄でしたが、
足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱(1467-77)に乗じて甲斐氏を追い、
朝倉孝景越前の守護に取り立てられて一乗谷を本拠としました。

 以後、第5代の義景まで103年にわたって一乗谷は越前の中心として繁栄し、
京や奈良の僧侶などが下向して北陸の小京都として栄えました。

 1565年、朝倉義景将軍・足利義昭を迎えて一乗谷で保護しましたが、
義景は義昭の上洛の要請に従わなかったため、織田信長を頼って越前から去りました。

しかし、上洛を果たした信長は次第に将軍・義昭と対立するようになり、
信長討伐の御内書を義景に送りますが、結局、1573年に朝倉氏は織田信長に攻められて敗れ、
焼き討ちに合って城下町も失われてしまいました。

タイムスリップしたような 歴史の人物に思いを寄せつつ。。。

 
茶屋があったのでいっぷく。。。

この泡立ち・・・私も友も感じたこと
茶筅のさばきがあまりにも雑、泡が大小まばら、薄すぎる・・・
自分で点てたほうが美味しいよね。。。と(*_*)

 
車で移動中は雨が降ってましたが、散策のころは傘いらず♪
でも風が冷たくて寒かったわ〜〜


豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられ、
門の表には朝倉家の三ッ木瓜の紋を、裏には豊臣家の五三の桐の紋が刻まれています。


唐門の前の堀にはたくさんの大きな鯉が泳いでいます。




5代当主の朝倉義景が済んだ館の跡で、6,500uの敷地には常御殿、主殿、楷書茶室、台所厩、蔵などが整然と配置されていました。



 
水前寺公園の池と同じ形・・・と聞いた池には大きなオタマジャクシの卵がいっぱいでした!

どこかの観光客も記念写真ですね♪


★山中温泉 自家源泉の宿
花つばき

 
チェックインの時間より早く着きましたが、快く受け入れていただきました♪

 
広々としたロビーは居心地良さそうで、どこを見ても「椿の花」で統一されています♪

 
3階へ案内されました

 
お〜♪ 素敵なお部屋〜〜〜 広い〜〜〜

 
次の間まであるわ〜〜!  荷物しか置かなかったからもったいなかった(^_^.)

 
床の間が立派だったので座ってみました(爆)      まずはお茶で休憩。。。


男性部屋へ集合して、さっそくビールとおつまみを(笑)

 
はい!お食事前に お目当ての露天風呂へ〜〜〜
 
なが〜〜い階段を下へ下へと降りていきます

 
ここのお風呂は3か所に分かれているので、まずは有名な 湯畑露天風呂へ。。。


いかがでしょう! 段々畑のようにいくつものお風呂が並んでいます
風呂ごとに熱さ加減も分かれています。

驚いたのは。。。混浴だったこと!!!

でも、大丈夫
男女とも専用の巻タオルを身に着けて入りますから〜〜(笑)
係の人が着け方を教えにきました(笑)

これは着替え室の窓から写したもの。偶然誰もいませんでした。
これ以上はカメラは持ち込み禁止です(^_^.)

こんな感じです(笑)


お風呂上りは冷たいお水を。。。あ、写ってない(笑)

夕食 18:30





何も言うことありません。。。美味しくて、食べ過ぎて、お腹いっぱい大満足(笑)

再び部屋で談笑して〜〜〜
 
22時過ぎ 今度は内風呂へ                  湯気で何も見えない(笑)


真夜中まで飲んでしゃべって(笑) ぐったりして眠りました〜〜〜(笑)
おやすみなさい。。。