雨の京都

2011年5月29日(日)〜30日(月)
例年より早い梅雨入りと、台風2号の影響で雨

それでも楽しみにしていた京都旅行。いざ、出発(^o^)丿


毎年25人乗りの革張り座席をお願いしていたのですが
今回はそれが取れなくて!でも38人乗りの革張り座席で、お値段はそのまま・・・。
というか、当日の朝それが分かったので、22人のままで出発です。


早速朝のおやつに。。。キュウリの一本漬けが出てきました! 美味しかったよ〜。


雨で高速道路が混むだろうという予想が外れてスイスイ。   10:40 お昼ご飯には早いので平安神宮へ向かいました




そこで偶然目に入った婚礼の場面。   了解を得て撮らせていただきました♪
素敵な御両人。。。いつまでもお幸せに。。。


お昼は郷土料理で有名な「アミタ」本店へ


お遍路さんの団体客と同じ部屋になり・・・食事前にいきなり大きな声でお経?を唱え出したので驚きました(^_^;)

そのあと ≪鷹峰山源光庵≫12:50

「血天井」の間へ!


鷹峰山(ようほうざん)と号する曹洞宗の寺である。
貞和2年(1346)大徳寺の徹翁義享(てつとうぎこう)によって創建され、当初臨済宗に属していたが、
元禄7年(1694)加賀国(石川県)大乗寺の卍山道白(まんざんどうはく)が再興し、曹洞宗に改められた。
道白は、当時の曹洞宗の改革に努め、自ら復古道人と称した。
本堂には、本尊釈迦牟尼仏及び霊芝観世音像を祀る。

「血天井」

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの直前、徳川家康は会津の上杉景勝討伐に向かうため、
留守居として鳥居元忠(1539〜1600)以下1800名に伏見城を守らせていた。


すると家康が京を離れた隙を狙っていた石田三成の軍勢9万が伏見城を攻撃
鳥居元忠とその部下は三成軍を少しでも長く京に留まらせ、
会津まで援軍に行かせないようにと奮戦したが8月1日遂に力尽き、
落城の際に鳥居元忠ら380名以上が自刃(元忠は討ち死にとの説も有)。


鳥居元忠達の遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月もの間、伏見城に放置され、
その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っても落ちなくなった。


そこで、縁側からその板を外し、供養のため寺に移した。
その際に床を、足で踏む床板にしては供養にならないからと、
天井にして手厚く供養しているものがいわゆる「血天井」として今も残っているのである。

「悟りの窓」「迷いの窓」



丸窓は「悟りの窓」と呼ばれ、円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現。
角が取れて苦しみから解き放たれる。

角窓は「迷いの窓」と呼ばれ、角型に「人間の生涯」を象徴し、
角が立ち、あちこちぶつかって生老病死の四苦八苦を表している。
いずれも仏教の真理を表わしている。



その奥には枯山水の「鶴亀庭」があります


奥に見えるこんもりした岩。。。亀に見えるでしょう?
鶴らしき庭木は生い茂って、なくなってしまったようです(笑)


心静かに。。。1枚。。。




≪八つ橋庵とししゅうやかた≫

京都名物、八つ橋を作る工程をみたり、素晴らしいししゅうの作品を見学


その後、大石酒造で工場見学と試飲 とてもまろやかで飲みやすかったわ♪


風情ある出店で、甘酒を賞味


15:30 早めにホテル到着

宇宙基地の様な建物(笑)      湯の花温泉 松園荘保津川亭


お部屋割り 6人部屋へ


夕食までたっぷり時間があるので 温泉へ直行!


もちろん・・・カメラ持ち込みは無理(>_<)  ちらっと入り口だけね〜〜


ホテルのパンフからご紹介。 全部入ってきたわ〜〜♪


温泉入る前に予約しておいた足つぼマッサージ
すごく気持ちよくて、眠っちゃいそうでした〜〜

18:00 夕食です



見るだけで、げっぷが出そうでしょ(笑)
飲んで食べてしゃべって歌って踊って(笑) 大賑わいでした\(^o^)/


二次会もカラオケ! みんな元気だわ〜〜〜〜(笑)

11時に解散して、また温泉へ入り、それから夜中の2時までおしゃべり。。。
それでも疲れません(笑)