伊勢神宮 と 安土桃山文化村
2010年1月13日(水)

第30回恒例の伊勢神宮初詣の旅へ行ってきました。
30回と言うことは、30年前からの行事!

「地元区地下鉄建設名鉄高架促進委員会」が昭和55年に発足してから今回まで・・・。
その甲斐あって、両方とも願いが通じ、平成22年度中に営業開始の運びとなりました。
よって、私は4回目の参加で今回が最後の催しとなり、バス15台610人が参加しての大賑わい。

朝7時 我学区もコミセン近くで集合して観光バスに乗り込み出発


順番として 外宮からの参拝になります
第一鳥居口参道
 この参道は外宮の表参道にあたります。
入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)がかけられています。
火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、

ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。


前回も紹介しましたが、もう忘れているでしょうから(笑)もう一度記しておきます。
伊勢神宮は「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれ、
辞書などでは「伊勢神宮」と紹介されていますが、単に「神宮」というのが正式な名称です。
 神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず)川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、
内宮=(ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、
外宮=(げくう)の総称で、古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)ともいいました。
 この両大神宮の正宮(しょうぐう)には、
別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)が所属しており、
全てで125の宮社を数え、これらの宮社をふくめた場合も神宮といいます。



御祭神 : 豊受大御神(とようけおおみかみ)
御神徳 : 衣食住をはじめすべての産業の守り神としてあがめられています。

豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、
内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、
豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。
今からおよそ1500年の昔のことです。

 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、
御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。
このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
 内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、
両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。(神宮HPより抜粋)


正宮
 皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、
天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、
この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、
ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、
千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。



昨年よりここ「安土桃山文化村」を昼食の場所として使います
 


正門前ではいつものようにコスプレ?(笑)の皆さんがお出迎え〜


これだけ一同に集まっての食事ですから、準備も大変だったでしょうね〜


昼食です♪ 右は去年の料理。ほとんど変わりませんね(笑)


 金屏風の前で、来賓・県会・市会・区政・の方々の紹介やご挨拶。毎回恒例です。

食後、園内を散策

寒い日だったので、ゆっくり歩いていられなくて〜
みんな足早です(^_^;)


レジの店員さんも時代劇の格好です。 これはいいアイデアーですね♪

その後、おなじみコースの「真珠工房」へ
その後、『魚市場』へ寄ったあと、ようやく「内宮」へと向かいました

内宮へ到着

御祭神 : 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
御神徳 : 皇室の御祖先の神で、日本人の総氏神とも言われています。



皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、
神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。
ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。
このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で
常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。

 わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、
皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、
六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、
皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を
高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。
宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。
と、お言葉を与えられました。

また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、
皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。
米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。


宇治橋
五十鈴川にかかっています。日常の生活から神聖な世界へのかけ橋です。
全長101.8メートル、巾8.42メートル、日本風反り橋。
そう、去年は橋の掛け替えで仮橋を渡っていましたね。
今年は真新しい檜の香りが心地よく、みな鼻を寄せていました(笑)




手水舎 
 今日、神社に参拝する時に、手を洗い、口をすすぐのは、
川や海の中に入って禊(みそぎ)をし、心身を清めていた行事を簡略化したものです。
手水の仕方にも作法があり、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗います。
次に左の掌に水を受けて、口をすすぎます。
柄杓から直接口をつけるのは不作法とされていますのでご注意を。


天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします。勿論私も♪


 正宮
 垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。
4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ
付属の殿舎ならびに御垣は、
20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。
遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。








おかげ横丁へ続く沿道は賑やかです


可愛いワンちゃんを見つけてパチリ♪


ここのお酒は縁起がいいと〜〜♪


私も頂きましたが、半分飲むのがやっとでした。 この檜の桝はお持ち帰りできます♪

内宮から続くおかげ横丁



去年より空いていたような?


ここの牛コロッケは絶対欠かせません!(笑)


ほろ酔い加減で美味しく頂いて〜〜

帰りのバスの中では
ビンゴゲームやおしゃべりに花が咲いて〜♪
楽しい一日を過ごしてまいりました。
最後まで見てくださってありがとう〜o(〃^▽^〃)o
。。。マリヤン。。。