2日目

真夜中のおしゃべりもほどほどに熟睡 窓から見える海の爽やかなこと〜♪




朝風呂も露天風呂に入ってから朝食で〜す
カメラマンは自分が写らないのが難点(^_^;)(笑)

大変お世話になった「山海館(やまみかん)」さんともお別れして


お魚屋さんへ来ました。 ここは知る人ぞ知る穴場とか〜♪
どれもお値打ちで、アサリや干物を沢山買ってきました〜(^O^)/


「えびせんの里」も有名ですが、ここは「鯛祭り広場」というお店。
えびせん工場見学もできます(^O^)


野間の灯台を眺めながら。。。海岸線をドライブ〜〜


『野間大坊(のまたいぼう)』へ到着


白河天皇の勅願寺であるこのお寺には、悲哀ただよう源義朝の墓をはじめ、鎌田政家や平康頼の墓などがあります。


私はアマノジャクじゃないわよ〜〜(笑)


源義朝公は、京都六波羅の合戦で平氏に破れ、この野間の地に落ちのびてきました。
ここで家臣の長田忠致・景致親子により謀殺された様子やその後の結末を、名古屋城初代城主徳川義直公の命により、
江戸初期の幕府御用絵師・狩野探幽が描き上げ、現存されています。





はい、私も同じようにボロンボロンととなえて回してきました


知多四国88ヵ所めぐり 51番札所 ご本尊は海運延命地蔵菩薩
源頼朝が父である義朝の墓参りと供養をかねて、自分の守り本尊を奉安しました。
境内に本四国の砂踏場がある。知多半島の有名なお寺なので、参拝者が多いです。


実は、ここへ来る楽しみに一つに、お坊様の説法を聞くことができると聞いていたのです。
そのお話が、とても楽しくて・・・スケベなお坊様らしいのです(笑)
でも、この日はお留守のようで・・・お話が聞けなくて残念でした〜


天武天皇の時、役行者が創建、聖武天皇の時行基が関わり、弘法大師が護摩供養をして、
白川天皇が再建して大聖寺と名を改め、源義朝の最期の地となり、その息子頼朝が供養、さらに秀吉、家康によって保護された。





1159年(平治元),平治(へいじ)の乱に破れた源義朝(みなもとのよしとも)は,
数人の家来と共に美濃から伊勢湾に出て知多半島沿岸から野間(のま)に落ちのびた。
家来の鎌田氏の義父である長田忠致(おさだただむね)を頼ったのである。
義朝は正月を忠致宅で過ごすが,平氏からの恩賞を目当てにした忠致に浴室で殺されてしまう。
現在,大御堂寺(野間大坊)には義朝の墓がある。
その墓には義朝の最後の最期の言葉「せめて木刀一本でもあれば殺されず済むものを」にちなみ,多くの木刀が供えられている。




義朝の首を洗ったとされる「血の池」は、国に異変があると、赤く染まると言われている。
2005年の「NHK大河ドラマ 義経」でも取り上げられました。


今回はPTA社会見学のようなコース(笑)で歴史を感じながらの旅でした
説明不足のところもありますが、少しでも観光のお役にたてば。。。

次回のマリヤンの旅便り。。。お楽しみに。。。(笑)

ありがとうございました〜(*^。^*)
。。。マリヤン。。。