2008年1月17日(木)

去年に引き続き2回目の訪問となった伊勢神宮
毎年実施されている区政行事の中の一環
住んでいる区の発展として地下鉄を誘致促進委員会が昭和55年発足したもの。
その後61年には名鉄本線の高架化促進も事業目的に加えられ現在に至ります。

朝7時 コミセン近くで集合して観光バスに乗り込み。。。
 
出発して30分経たない内にビール・ワイン・酒などで出来上がりながら大賑わいです(笑)
もちろん私もいただきました〜♪

 
この日は観光バス12台約500人・次の日は13台の観光バスが関ドライブインで終結し いざ伊勢へ
 私たちが乗り込んだバスです

前回も紹介しましたが、もう一度記しておきますと。。。
伊勢神宮は「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれ、
辞書などでは「伊勢神宮」と紹介されていますが、単に「神宮」というのが正式な名称です。
 神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず)川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、
内宮=(ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、
外宮=(げくう)の総称で、古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)ともいいました。
 この両大神宮の正宮(しょうぐう)には、
別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)が所属しており、
全てで125の宮社を数え、これらの宮社をふくめた場合も神宮といいます。




順番として 外宮からの参拝になります

 
勢ぞろいした中に、こんな綺麗な薔薇の模様のバスが!


豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、
内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、
豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。
今からおよそ1500年の昔のことです。

 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、
御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。
このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
 内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、
両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。(神宮HPより抜粋)

 
第一鳥居口参道
 この参道は外宮の表参道にあたります。
入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)がかけられています。
火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、
ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。

 
仲良しグループと共にパチリ♪ 男性は一般のお客様です


参道途中に小さく囲まれた石積み
皆が手をかざしているので何だろうと
何やら『波動』が感じる。。。ということです。。。


 
正宮
 皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、
天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、
この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、
ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、
千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。
わずか30分という行程でした(^_^;)

そして昼食場所へ移動
 
二見浦 (ふたみのうら)
お伊勢さんの表参道門前町といわれる二見浦は、もともとは、伊勢神宮への参詣の前に、
二見の海岸のきれいな海水で旅のよごれを落とし身を清めたところ。
ここから山道に入りお伊勢さん詣でをしました。
やがて、海岸沿いの街道にはお伊勢さん詣での参拝客を宿泊させる旅籠(はたご)が次々と建てられ、
今の旅館やみやげ物や屋が立ち並ぶ二見浦表参道が出来ました。
ここで昼食です。

 
去年と比べたら・・・全く同じものでした(笑)
ここで私が勤めている市会議員の演説がありました〜
手をあげたら気付いてくださって手を振ってくださったわ♪(笑)
その写真は・・・控えておきます(^^ゞ

 
冷たい風が容赦なく吹き付けて! 寒かったけど笑顔一杯です(笑)


夫婦岩
男岩は高さ9m、女岩は高さ4m、注連縄の長さは35mです。
日の大神と猿田彦大神縁りの興玉神石を遙拝する鳥居の役目をしております。
夫婦岩の中央から差し昇る朝日は4、5、6、7、8、の5ヶ月が最も美しく拝されます。
大注連縄の奉ので縄の長さ35m、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、
その間の長さは9mあります。
この大注連縄は5月5日、9月5日、12月第3日曜日に張り替えられます。
この大注連縄奉献の意味は一切の不浄を祓って日の大神
及び興玉神石遙拝の鳥居に献ずる古い習わしであります。


 
神社の御祭神猿田彦大神は天孫降臨のさい、道案内をさらたので
(古事記、日本書紀)古来、交通安全 善導の守護神として広く信仰されています。
蛙は大神の御使いと信じられ、境内の置物は、無事かえる、貸した物がかえる、若がえる
等の縁起により御利益をうけられた方々の献納なのです。




 

 
柄杓で蛙に水をかけると御利益があると。。。いっぱいかけてきました(笑)

 

 
右の写真の岩のことです。 ほんとに蛙に見えますね〜〜!

その後、お決まりコースの『ザ朝市』へ


 
大好きなウニがありましたが、荷物になるので買いませんでした(>_<)


内宮へ到着



皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、
神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。
ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。
このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で
常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。

 わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、
皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、
六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、
皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を
高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。
宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。
と、お言葉を与えられました。

また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、
皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。
米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。


 
宇治橋
五十鈴川にかかっています。日常の生活から神聖な世界へのかけ橋です。
全長101.8メートル、巾8.42メートル、日本風反り橋。

 
長く続く参道は緑に囲まれて清々しい気分になります

 
手水舎 
 今日、神社に参拝する時に、手を洗い、口をすすぐのは、
川や海の中に入って禊(みそぎ)をし、心身を清めていた行事を簡略化したものです。
手水の仕方にも作法があり、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗います。
次に左の掌に水を受けて、口をすすぎます。
柄杓から直接口をつけるのは不作法とされていますのでご注意を。
天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします。

ここで一言。。。
外宮は左側通行 内宮は右側通行 それは何故かというと
この手水舎のある場所が、入り口から歩いて左側にあるか右側にあるか・・・で決められたことだそうです

去年は通り過ぎてしまった五十鈴川を見てきました

 
身が切れるような冷たさでしたが、透きとおった流れに見とれるほどです。
以前は大きな鯉が泳いでいたそうですが、水量が少なくなったため他へ移したそうです。

 
正宮の手前にも上へ続く階段が。。。それは。。。
社殿を造り替える20年に一度の大祭があります。
正殿(しょうでん)を始め御垣内(みかきうち)のお建物全てを建て替えし、
さらに殿内の御装束(おんしょうぞく)や神宝を新調して、御神体を新宮へ遷(うつ)します。
その遷り場所がこの上にあります。
それが行われるのが「第62回式年遷宮」であり平成25年です。
平成17年から第62回式年遷宮の諸祭・行事が進行中です。


 
正宮
 垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。
4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ
付属の殿舎ならびに御垣は、
20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。
遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。

平成20年元旦から7日までの参拝者数は次の通りでした

 内  宮 75万2674人
 外  宮 23万8371人

 両宮合計 99万1045人


参拝を終えて、お蔭横丁へ向かう途中で。。。とても品のある『チャボ』?に遭遇しましたo(〃^▽^〃)o

内宮から続くおかげ横丁


 
相変わらずの人混みに 一瞬足が止まりました(笑)

 
止まったところでいい香りが〜〜〜♪
一緒に歩いていた私たち一行は、その香りに釣られて。。。
焼き牡蠣を摘みに熱燗で一杯♪(爆)

ここで20〜30分居座ってしまったので、当然時間がなくなって〜〜〜


とりあえず閉まっている『赤福』を確認に走り、張り紙を撮ってきました(^^ゞ
伊勢名物「赤福」が『内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、
300年間変わらず商いを続けてこられたのもお伊勢さんの「おかげ」』
という感謝の気持ちを持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」。
なのに・・・なのに・・・製品には支障はないものの、製造年月日を偽ったばかりに閉店へと・・・。
あの味のファンである者としては、早い再開を望んでおります。。。


で、お蔭横丁散策はなし! 看板だけ証拠写真を(笑)
だって、40分しか時間がないんだもの〜!
帰宅が夜になってもいいから・・・のんびり歩きたいよ〜〜〜(>_<)

そして一路家路へ。。。
 
皆が眠る前にビンゴゲームです♪40人中上位20名に景品あり。
私は・・・景品を買ってきたにも関わらず・・・当りが遅くて参加賞だけになってしまいました〜(爆)


関ドライブインで集合写真。 去年も載せたので、今年も載せちゃえ〜〜〜(笑)

大急ぎで作ったページですが、見てくださってありがとうございました〜o(〃^▽^〃)o
。。。マリヤン。。。