伊勢神宮 と おかげ横丁
2007.1.12(金)

生まれて初めて訪れた伊勢神宮
行くきっかけになったのは 毎年実施されている区政行事の中の一環だったから。
それは、住んでいる区の発展として地下鉄を誘致促進委員会昭和55年発足したもの。
その後61年には名鉄本線の高架化促進も事業目的に加えられ現在に至ります。

前日は20台・この日は13台の観光バスが関ドライブインで終結し いざ伊勢へ

「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれ、
辞書などでは「伊勢神宮」と紹介されていますが、単に「神宮」というのが正式な名称です。
 神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず)川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、
内宮=(ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、
外宮=(げくう)の総称で、古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)ともいいました。
 この両大神宮の正宮(しょうぐう)には、
別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)が所属しており、
全てで125の宮社を数え、これらの宮社をふくめた場合も神宮といいます。


まずは外宮へ参拝です


我らご一行13台のバスが勢揃いです。


豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、
内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、
豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。
今からおよそ1500年の昔のことです。

 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、
御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。
このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
 内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、
両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。(以下神宮HPより抜粋)


第一鳥居口参道
 この参道は外宮の表参道にあたります。
入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)がかけられています。
火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、
ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。


正宮
 皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、
天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、
この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、
ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、
千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。


外宮にて心身ともに清められた笑顔です(笑)


二見浦 (ふたみのうら)
お伊勢さんの表参道門前町といわれる二見浦は、もともとは、伊勢神宮への参詣の前に、
二見の海岸のきれいな海水で旅のよごれを落とし身を清めたところ。
ここから山道に入りお伊勢さん詣でをしました。
やがて、海岸沿いの街道にはお伊勢さん詣での参拝客を宿泊させる旅籠(はたご)が次々と建てられ、
今の旅館やみやげ物や屋が立ち並ぶ二見浦表参道が出来ました。
ここで昼食です。


大広間での昼食 一緒に参加した市会議員の挨拶や土産物の試食もしながら会食です

食事が終わって 自由時間は20分 二見浦の海岸へ

夫婦岩
男岩は高さ9m、女岩は高さ4m、注連縄の長さは35mです。
日の大神と猿田彦大神縁りの興玉神石を遙拝する鳥居の役目をしております。
夫婦岩の中央から差し昇る朝日は4、5、6、7、8、の5ヶ月が最も美しく拝されます。
大注連縄の奉ので縄の長さ35m、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、
その間の長さは9mあります。
この大注連縄は5月5日、9月5日、12月第3日曜日に張り替えられます。
この大注連縄奉献の意味は一切の不浄を祓って日の大神
及び興玉神石遙拝の鳥居に献ずる古い習わしであります。



二見シーパラダイス
あかんべ〜でおなじみのミナミゾウアザラシは、日本で2頭しか飼育されていない大変貴重なアザラシです。
二見シーパラダイスでしか会えないよ!


でも、ショーを見る時間はなく、駐車場からも見えるプールで泳ぐトドちゃん♪(笑)


観光バスが連れて行ってくれたザ朝市


試食はしたけど買わなかった〜〜(笑)


バスの中から一際目立つ派手なお城
「あのお城は?」と聞いても、誰も答えてくれなかった。
帰ってから検索したらTVで聞いた事のある「伊勢戦国村」でした!
ここはアミューズメントパーク全体がお城になっていて
籠を模したバスで回る様になっていて、信長の安土城を模しているようです。
機会があったら訪れて見たいな〜〜。


バスは内宮へ到着

皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、
神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。
ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。
このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で
常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。

 わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、
皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、
六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、
皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を
高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。
宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。
と、お言葉を与えられました。

また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、
皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。
米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。


宇治橋
五十鈴川にかかっています。日常の生活から神聖な世界へのかけ橋です。
全長101.8メートル、巾8.42メートル、日本風反り橋。


手水舎 
 今日、神社に参拝する時に、手を洗い、口をすすぐのは、
川や海の中に入って禊(みそぎ)をし、心身を清めていた行事を簡略化したものです。
手水の仕方にも作法があり、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗います。
次に左の掌に水を受けて、口をすすぎます。
柄杓から直接口をつけるのは不作法とされていますのでご注意を。
天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします。



内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)
 参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、
向かって右端から「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」があります。
参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、
御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、
皇大神宮の御神札(おふだ)・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。
内宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。
また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。



深い森に囲まれた参道 刻み込まれた歴史の足跡を物語っているようでした


正宮
 垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。
4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ
付属の殿舎ならびに御垣は、
20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。
遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。

初めて訪れた人は感じるかもしれませんが
え?正面って・・・これだけ? もう・・・外へ出るの?って感じて呆気に取られてしまいました。
奥を撮ろうと思ったら「撮影は禁止です」って神の声が・・・宮司さんだった〜〜(^^ゞ

内宮から続くおかげ横丁散策


伊勢名物「赤福」が『内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、
300年間変わらず商いを続けてこられたのもお伊勢さんの「おかげ」』
という感謝の気持ちを持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です。


自由時間30分!とてもゆっくり歩いて見るどころではありませんでした。
足早にお店を通り過ぎるだけ〜〜〜(T_T)


バスツアーの難点ですね〜〜〜。次回はたっぷり時間を取って
50軒の店めぐりを楽しみたいと思います!




中には江戸時代のおかげ参りを体験できる「おかげ座」
御木本真珠島店「世界のブランド「ミキモト」を扱う真珠店も

とにかく、見たいところ入りたいところがいっぱいだったけど
今回は・・・下見ということにしましょう(笑)

伊勢神宮 と おかげ横丁 いかがでしたか?
まだ行かれたことのない方 行って見たいと思われた方
是非。。。足をお運びくださいね。。。


最後まで見てくださってありがとう〜〜o(〃^▽^〃)o

。。。マリヤン。。。